再び鳥取県に恋をした!

皆さん、こんにちはchataの治郎丸です。

私の生まれは神奈川県横浜市で三歳の時に父親の仕事の関係で東京都大田区に移り二十歳まで住んでいました。

そんな私が鳥取県に恋をしました。

しかも再び。

私の父親は鳥取県の出身で、子供の頃、夏休みになると父親の実家に帰省していました。その頃おばあちゃんも元気で、沢谷という集落で一人で生活していました。私がおばあちゃんの家に行くと山に入って虫を採ったり、川で泳いだり、畑で採れた野菜を食べたり、田舎を思う存分楽しんでいました。

おばあちゃんはとても優しい人で、ご飯もおいしかったです。夏休みだけでなく、ずっとおばあちゃんの家の子供でいることを考えるほど、私は鳥取県が好きでした。しかし、大人になるにつれて、自分の世界が広がり、田舎で遊ぶよりも都会で過ごすことが面白く感じられ、鳥取県のことを忘れてしまいました。

そして、おばあちゃんも亡くなり、子供の頃過ごしたおばあちゃんの家も老朽化が進み、今年初めに取り壊すことが決まりました。取り壊される前に、最後におばあちゃんの家を見に行こうと決め、今年の3月に久しぶりに父親と二人で鳥取県に行きました。

約20年ぶりの鳥取県。最寄りの倉吉駅の周りは、子供の頃とは大きく変わり、開発が進み、美しく整備されていました。しかし、おばあちゃんの家の周りは子供の頃と変わらず、大山は見えませんが、目の前には蒜山がそびえていました。

その瞬間、故郷が失われることが寂しい気持ちになり、おばあちゃんの家はなくなってしまったけれど、鳥取県が私の故郷だと感じました。

ならば鳥取県に関わる事で仕事を創ればと思いましたが、さて、山陰地方で何をしようか…

そんな想いを抱えて日々仕事をしていると展示会で鳥大付属病院の方と知り合う事に。

これを足掛かりに仕事で鳥取県に貢献する仕事を考えてみよう!

つづく!